『ヘルパーが嫌いになったこともありました。』

 

職場結婚後しばらく共働きの生活を続け、長男が生まれると 私は退職し育児に専念するようになりました。 長男が小学校に上がる頃にもう一人こどもを授かりましたが、 ちょうどその頃から父の体調が悪化しました。

 

私の実家は宮崎県にあり、お見舞いにもなかなか行くことができませんでした。 電話で話す父は「そう心配するものではない。お前も大事な身体なんだから。」 と逆に気遣ってくれました。

 

夏休みに入り長男と一緒に里帰りをしようとしたところ、流産しそうになり 病院で緊急入院させてもらい絶対安静にしていなければならなくなりました。 幸い体調は回復しましたが里帰りは難しくなりました。 電話で母子共に無事であることを告げると母は 「お父さんにも話しておくから心配せずにゆっくり丈夫な子を産んでね。」 と励ましてくれました。

 

そして、長女が生まれる1ヶ月前に父は亡くなりました。 二人のこどもを育てるのに追われあっという間に父の七回忌を迎えました。 今更ながらに病床の父に何もして上げられなかったことが悔やまれました。 母も夫も仕方のないことだと慰めてくれましたが後悔の念が消えることは ありませんでした。 最近は母もめっきり年老いて身の回りの世話が辛くなってきたと漏らします。

 

ある日、夫に「私、働きに出てもいいかなぁ?」と相談しました。 父への後悔と母への心配から私はどうにかしたいと強く訴えました。 この気持ちが活かせる仕事として私はホームヘルパーを目指すように なっていて夫も賛成してくれました。 ホームヘルパー2級講座へ通い、久しぶりの勉強に四苦八苦しながら 講座仲間と励ましあい念願のホームヘルパー2級資格を手に入れました。

 

講座を終了して2ヵ月後にある事業所で採用されました。 私は希望と理想に燃え、新しい社会生活に胸を躍らせていました。 しかし、いざ働き始めて半年ほど経ち、ぼちぼち仕事に慣れてきた頃に なんとも表現しがたい違和感を感じるようになりました。その時に感じた 違和感の正体は1年経ってからはっきり確信することになります。

 

それは表面化しないヘルパーの不満やあきらめでした。

 

もっといいますとマイナス方向の妥協を消極的に 受け入れることから溢れる空気のようなものでした。 ヘルパーという仕事はもちろん介護計画に則って業務に当たるものですが、 その計画を作成するのはケアマネージャーです。介護計画は事業所が承認し、 業務遂行に移すわけですが計画立案のケアマネージャーは忙しく 介護者さんへの訪問は当時でおよそ3ヶ月に1回で所要時間は 30分しかありませんでした。それと御家族や担当のヘルパーからの意見聴取を合わせて介護計画を 立案します。

 

介護者さんへの訪問時間30分で一体何が聞けるのか? 情報を補おうと話す意見聴取ではヘルパーの想いを受けとめない。 私は現場と事業所との間に埋めきれない溝があることを実感し、訪問へ 行く度に「今日で辞めてやる。今日こそ辞めてやる」と思いながらも いざ、介護者さんのお宅へあがりお顔を見ると 「でも、結局この介護者さんたちに迷惑がかかることになるのかも?」と 気に病みました。

 

「辞めてやる」と「迷惑はかけたくない」との間を行ったり来たりするうちに ヘルパーを始める前の理想とはかけ離れ、いつの間にか自分で 何がしたかったのかわからなくなりました。 今にして思えばこの挫折体験は何も私だけではなかったように思います。

 

当時の同期入社のヘルパーさんは8人いましたが、2年後には3人に なっていましたから。 そして、転機が訪れます。 ホームヘルパー2級講座で一緒だった友人から「高齢少子社会へむけて 福祉の理想のあり方を追求する介護事業所が平野区で立ち上がるらしいよ。」 と電話を頂きました。 ある折に話した職場の愚痴をこの友人は気にかけてくれていたのです。 そして「福祉にかける熱意と理想を持つ人求むって書いてあるから あんたなら受かるのと違う?」と求人応募を勧めてくれたのでした。

 

介護事業所への求人応募は成功し、運よく理想を求めて働くことが できるようになりました。介護事業所は平野区喜連にあるシェアハウス中井 という世代交流マンションと業務を提携するところからスタートしていて このマンション内での介護事業が最初の仕事ということになりました。 こちらのマンションでは介護者さんと普段から接することができるので体調や 心情の変化についてより多くの情報を得られます。 そのため柔軟性の高い介護計画を立案することができます。

 

私はこちらの介護事業所でヘルパー職を始めた頃の情熱を取り戻し、 よりよい福祉事業の在り方について現場の目線から考えることをモットーに 楽しく働いています。 一度は挫折し萎れた思いがあるから今の現場が大切でとても暖かく 感じるのだろうと思います。そして、一人でも多くの共感できる仲間と 理想への想いを実現していきたいと思います。